世界中で大人気のゲーム『クロノ・トリガー』は1995年3月11日にスクウェアソフト(現スクウェア・エニックス)から発売されたSFC(スーパーファミコン)用のソフトです。今日で30周年。
当時200万本程度売り上げ、その後PlayStation版やニンテンドーDS版も出ました。続編の『クロノ・クロス』もあります。現在はSteamでも遊べて、最近は僕も5歳の息子と久しぶりに遊んでいました。変わらず面白い。
改めて『クロノ』がなんでこんなに人気があるのか、僕なりに思うことを書いてみます。
何が衝撃だったのか
『ジャンプ』や『Vジャンプ』で初めてクロノ・トリガーというゲームが出ると知ったときの衝撃。僕はまだ12歳。中1になろうとしているときで、真っ白な背景に主人公のクロノたちが並んでいるビジュアルがかっこよかった。ロボにカエルも仲間にできる。ルッカとかはアラレちゃんっぽいけど、今までの鳥山先生のデザインとは色使いやモチーフがちょっと違う感じで。
「ドリーム・プロジェクト」と当時は呼ばれていたけど、
『ドラゴンクエスト』のエニックス
『ファイナルファンタジー』のスクウェア
『ドラクエ』『ドラゴンボール』の鳥山明先生がキャラデザ
という組み合わせが信じられなかった。
当時、学校なんかでも『ドラクエ』派、『ファイファン(FF)』派みたいなのもあった。両方好きな人ももちろんいるんだけど、たぶん今よりもファミコンやスーパーファミコンのソフトが高かったから(スーファミだと1万円を超えていた)両方のシリーズ揃えていた友だちは少なかった気がする。そんな理由もあったかもしれない。
「ハローマック」でバイト中のいとこに予約してもらった
僕はおもちゃ屋の「ハローマック」でバイト中のいとこに頼んで、『クロノ』を発売日に受け取れるようにお願いしておいた。
当日受け取り、スーファミの電源を入れる。「カチッカチッ」と時計の振り子が揺れて、音楽『予感』が流れる。で、バーンッとロゴが出てくる。衝撃でした。
そしてデモ映像が流れて、名曲『クロノ・トリガー』がかかったときの高揚感。そして壮大なんだけど、どこか物悲しさも感じるメインテーマが斬新だった。
そこからの青い海に平和そうな町並みの映像、カモメの声、ガルディア王国百年祭ののろしの音、リーネの鐘が鳴る音。「朝だよ、起きなさい」という『ドラクエ』的な始まり方。『やすらぎの日々』の音楽の良さ。曲が良すぎていつまでもはじまりのトルース村を回りたくなるんですよね。これが続編の『クロノ・クロス』のアルニ村も一緒なんですけど。
とにかく『クロノ・トリガー』『クロノ・クロス』は曲がめちゃくちゃ良くて、世界中にファンがいるんですが当時23歳だった光田康典さんが起用されたのがすばらしい。光田康典さんの仕事がすばらしい。いまだに愛される名曲がたくさん生まれました。
簡単な『クロノ・トリガー』のあらすじ
AD1000年のガルディア王国に暮らす少年クロノが、「ガルディア王国1000年祭」で少女マールと出会い、幼馴染のルッカが作った新しい発明品を見に行きます。
そこでマールのペンダントがなぜか発明品の実験中に反応し、マールは姿を消してしまいます。
クロノは残されたペンダントを手に、マールを追っていくと、そこは400年前のガルディア王国でした。
ルッカの発明品の助けもあってタイムトリップがある程度自由にできるようになって、ひょんなことからクロノたちはAD2300年の、荒廃した世界へとやってきます。
AD1999年の、ラヴォスという存在がその荒廃をひきおこしたものと知ると、彼らの力で未来を救おう、と過去・現在・未来を旅する冒険が始まります。
1995年について触れるなら、僕は『クロノ・トリガー』を外すことはできないだろうと思っています。これだけ当時の少年たちに強いインパクトを与えた作品はなかった(もちろん「一部の」少年たちなんでしょうけど)。
当時はけっこうみんなノストラダムスの大予言を信じていて「1999年に世界は終わる」っていうのを間に受けてた感じがあった気がするんです。世紀末感があった(実際世紀末だったし)。
だからオウムや阪神大震災などの出来事があったときに、それは終末へのカウントダウンという感じがしたので、1995年3月11日に発売されたこのゲームの「1999年に世界が滅亡する」というイメージはちょっとリアルだった。
難易度の低さは鳥山ワールド・ストーリーを楽しませるため
制作陣の一人、当時のスクウェア・坂口博信さんも難易度は低めにしたといわれている。『クロノ・トリガー ザ・パーフェクト』で。プロットの堀井雄二さんは、「つよくてニューゲーム」をするとタイムスリップした感覚が得られる、これはタイムスリップものならではの感覚で良かったと。
このシステムも『クロノ・トリガー』あたりから出たものですけど、周回要素で強さやアイテムなどを引き継げるものですね。
この発言を見ていても、制作陣はストーリーにスポットをよりあてたかったんじゃないかなと思うんです。「鳥山明ワールドを再現する」というテーマがあったらしく、それでいうと戦闘画面とフィールド画面が地つなぎになっているのもそのせいかもしれない。
難易度が低いのもそうで。細かくいうと、カメラワークとかもこの当時にしたら新しいなと思うシーンが多い。王国裁判とか、ロボが未来でかつての仲間に痛めつけられるシーンとか、「緑の思い出」とか、それまでのRPGに比べると、映画的な演出が多かったように思います。
クロノ・トリガー人気の理由=懐かしさ
一言でいうと、『クロノ・トリガー』は当時から「懐かしさ」が詰まったゲームだったと思うんです。マスターピースになるべくなったというか。
先程の堀井さんの「つよくてニューゲーム」でタイムスリップした感が得られるというもの。これも懐かしさ。さみしさや切なさでもある。
マールの衣装や、カエルの鎧、ルッカのヘルメット、ロボの意匠などに共通する金色のネジ(ビス)など、どこか中世やレトロフューチャーを感じさせるデザイン。鳥山先生の数枚のビジュアルも、くすんだレトロ感があります。
曲もそう。大人気の、中世に最初にタイムスリップしたときに流れる『風の憧憬』とか、冒頭の『クロノ・トリガー』にしてもどこか切ない。過去を思い出して切なくなるような曲が多い。
これって実は「星の夢」っていう、物語後半に出てくるキーワードにも繋がると思うんですよね。
クロノたちは滅亡する未来を知り、過去にも行って、世界崩壊を止めようとする。世界の中心、核にラヴォスというラスボスがいるわけですけど、それに対して、侵食された星そのものが時代にまたがって夢を見せている。あるいは、『クロス』以降の設定ではありますが、ラヴォスに取り込まれたある存在かもしれない。
そういう、「終わりを知っている上での過去を思い出す懐かしさ」が実はゲームのストーリー全体を貫いている。
『クロノ・トリガー』の元ネタというべき作品たち
さらに言うと、この作品には元ネタというべき作品がたくさんあるわけです。
『ドラクエ』『FF』はもちろん、映画なら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか古くはジュール・ヴェルヌの『地底旅行』とか。「少年たちで何とかしよう」っていうのは、『グーニーズ』とかを思い出す。あと大長編『ドラえもん』の『のび太の鉄人兵団』で、のび太たちが地球の危機を悟ってマスコミなんかに連絡をするけれど、取り合ってもらえないから自分たちでなんとかする……というのにも似ている。いわばジュブナイルというか。
シルバードというタイムマシンで時間旅行する設定がすんなり受け入れられるのは『ドラえもん』でみんななじんでいたのもあるでしょう。
鳥山先生の『ドラゴンボール』は1995年で連載終了してますけど、「フュージョン」なんかも『クロノ』には出てきますね。
「1999年に世界崩壊」は当時リアルだったノストラダムスの大予言だし、6500万年の昔に落ちた隕石というのは、実際に恐竜滅亡の理由とされていますけれどそれがラスボスのラヴォスに繋がっている。カエルになった騎士というのは1992年のゲームボーイソフト『カエルの為に鐘は鳴る』を思わせたり、そもそも古くからある貴種流離譚ですよね。
https://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/okj/index.html
古代の島や技術は『天空の城ラピュタ』やジブリっぽさもある。
あとはちょっとマニアックなんだけど、ラヴォスや「ドリストーン」という赤い石の設定は、手塚治虫御大の『冒険ルビ』に近いものがあるんじゃないかと。
ただ、クリア後に強く思うのは『銀河鉄道の夜』との関連性なんです。
『クロノ・トリガー』と『銀河鉄道の夜』
『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治のいわずとしれた名作童話ですけど、僕は『クロノ・トリガー』のエンディングで毎回感動してすごく切なくなったときに「これは何かに似ている」って思っていたんですね。
あるとき思ったのが、『銀河鉄道の夜』。『銀河鉄道の夜』では「銀河のお祭り」の夜に、ジョバンニという孤独な少年が町はずれの丘で銀河鉄道に乗り込み、親友カムパネルラと旅をします。旅が終わって気がつくと元の丘にジョバンニは戻っていて、川で溺れたいじめっ子のザネリを助けようとして溺死(行方不明?)になったと知ります。
『クロノ・トリガー』のエンディングでは、ラスボスとの戦いを終えて「ガルディア王国千年祭」が行われるリーネ広場に戻ってきます。少し時間は進んでいるけれどみんなはクロノたちの活躍を(一部を除いて)知らないし、旅立ちの日からそう時間は経っていない。
クロノは各時代から集まった仲間たちと別れを告げます。そして花火の打ちあがる夜に、タイムマシンに乗ってクロノたちはまた旅に出かけに行く(エンディングによって、風船で空飛んだりするんですけど)。
すべては語り切れないけど、この「夢から覚めたように最初の地点に戻る」「友との別れ」「美しい祭りの夜」「旅の記憶は仲間たちだけが知っている」というのが『銀河鉄道の夜』に似ているなあと。
さらにこのエンディングで流れる『遥かなる時の彼方へ』という曲がまたすばらしく切ないんです。
(公式の、ゲーム音源ではないですけどすばらしい演奏)
後から知ったのは、この『遥かなる時の彼方へ』は、作曲家の光田康典さんが親友を亡くされたあとにつくった曲だったこと。
光田 そうですね……実は、僕が高校生くらいの時には、すでにあの曲を作っていたんです。僕が高校2年生くらいの時だったかな。カモンミュージックというシーケンサーをバイトして買って、自分で色々と曲を好きに作っていたんですよ。
その当時に、大の親友が亡くなってしまって、その人のために書いた曲だったんですね。あの曲は本当に、思い入れがあるというか、別格です。何かのテーマがあって、ゲームに宛てた曲ではないので。ちょっとニュアンスが違うんですよね。
―― その曲を、なぜ『クロノ・トリガー』で使用することになったのでしょうか?
光田 『クロノ・トリガー』のエンディングと、なんかリンクしちゃったんですよね、僕の中で。別れは切ないけどちょっと前向きな、そういうイメージが。まあ、本当は使わないようにしようと思ったんですけど、『クロノ・トリガー』の最後のお話を読んでいた時に、なんとなくずっと気になってて。自分の経験とゲームの話と音楽がリンクしちゃって。
https://www.2083.jp/contents/201508yasunori_mitsuda/
(光田康典 作家20周年記念インタビュー ― 遥かなる時の彼方へ ― [2083WEB] より引用)
すべての会話が終わって、花火が打ち上がって星空の夜の中、タイムマシンのシルバードが駆けていく中で流れる『遥かなる時の彼方へ』を聴くと胸がキュウッとして切なくなるんですよね。
旅を終えた達成感もだけど、懐かしさとか別れの切なさ。
それがこの曲とエンディングでつくられていると思うし、どこか『銀河鉄道の夜』を思い出させる。そしておそらく、その切なさや懐かしさは『クロノ・トリガー』全体を通底している。
だからこそ普遍的で、多くの人がずっと懐かしむゲームなんじゃないかなあと思っています。
もちろん、個別のキャラやシーンや曲や演出やグラフィックの良さは語ればきりがないんですけど。
いつかまたリメイクで遊べると嬉しいなあ。
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